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中心会の合言葉

合言葉について

「いつくしみ合う身近なひと」を持つことは、誰にとっても、幸福であるために欠くことのできないものです。そして多くの場合、「いつくしみ合う身近なひと」は家族であると言えます。もちろん一口に家族といっても、時代によって、社会によって、その姿かたちは多様です。明治時代にはいわゆる「家父長制」といった家族制度がありましたし、それが第二次世界大戦後は日本国憲法の下で「両性の平等」に基づく家族制度に変わりました。また最近では幾つかの先進諸国では、「事実婚」によって形成される家族の数が「法律婚」によるそれを上回っていますし、さらには、同姓によって形成される家族も徐々に社会的に認知されるようになっています。

このように、制度としての家族は時代により、社会により、様々な姿かたちがありますが、そのような姿かたちの違いを越えて、なお、多くの人々が家族を形成するのは、人間が誰しも本質的に「いつくしみ合う身近なひと」を必要としているからでしょう。同居であるか別居であるか、血縁があるかないか、異性か同姓かといったことにかかわらず、「いつくしみ合う身近なひと」を求めるのは人間の本性ではないでしょうか。

ですから、夫が妻に対して、妻が夫に対して、親が子に対して、子が親に対して、「あなたがいてくれてよかった」と思えることは、この上もなく幸福なことであり、そう思えないことは、この上もなく不幸なことです。

しかし今日、残念ながら私たちの社会では、なお、そのような不幸が決してなくなったわけではありません。

子が親の長寿を喜び、親が子の誕生を喜ぶのは、「いつくしみ合う身近なひと」を求める人間の本性に根ざした自然の姿のはずですが、その自然の姿を妨げる様々な障害が、今なお、私たちの社会には存在しています。その極端な姿としてたとえば、老人虐待、児童虐待なども後を絶ちません。もちろんそれらは極端な姿ですが、その極端な姿はいわば氷山の水面上の一角であり、その水面下には多くの人々が、「いつくしみ合う身近なひと」であるはずの家族の存在を重荷に感じてしまう現実があります。

高齢者が自分の長寿を喜べるのは、「いつくしみ合う身近なひと」が自分の長寿を喜んでくれるからです。児童が自分のいのちを大切に思えるのは、「いつくしみ合う身近なひと」が自分の存在を喜んでくれるからです。「個人の尊厳」は決して、他者との関係を失った、真空の、無重力空間にあるものではありません。「いつくしみ合う身近なひと」との関係の中にこそ、それはあります。

「おじいちゃんがいてくれてよかった」「おばあちゃんがいてくれてよかった」
「お父さんがいてくれてよかった」「お母さんがいてくれてよかった」
「夫がいてくれてよかった」「妻がいてくれてよかった」
「息子がいてくれてよかった」「娘がいてくれてよかった」

誰もが「いつくしみ合う身近なひと」の存在を自然に喜び合える社会を作ること。それを妨げる様々な障害を取り除き、重荷を支え、困難を和らげること。私たちが社会福祉事業の実践に取り組む究極の目的は、まさにそこにあります。

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